NBA,バスケットボールミュージアムLayupshot

Contact us 免責事項

© 2012-2017 Layupshot.

Owner. Tadahiro Hakamata

Photo. Kentaro Sawaguchi

Design. PLANPOT DESIGN WORKS

BLOG

HOME / ABOUT / BLOG / 800 of NBA Game Worn Jerseys, Story Behind The Origin of Layupshot.com (2)

800 of NBA Game Worn Jerseys, Story Behind The Origin of Layupshot.com (2)

2.どこに行けばGame Worn Jerseyが手に入るのか?

その後私はロンドンに3年間住む事になりました。マイケル・ジョーダンが突然の引退を表明したことが影響したのかもしれません。

1995年「I’m Back」の一言と共にジョーダンはNBAにブルズに戻ってきました。この神様の復帰に私は我慢が出来ずにシカゴへと向かったのです。

ゲームを生で観たい、背番号が変わった#45のジョーダンをとにかく観たい。そして本物の貴重なジャージー、シューズを手にいれたいと期待を膨らましオヘア空港にすっ飛んでいったのです。

次の日より真っ先に思いついたのはまずスポーツ店に行こうということでした。もちろんゲームで選手が着たジャージーが欲しくてシカゴに来たのですから、スポーツ店などを巡って店員に聞きまくることをすれば何か貴重な情報がゲットできそうな予感がしていました。

「どこに行けば Game Worn Jerseyが手に入るのか?」

「NBAのGame Worn Jerseyを探しています。だれか?知り合いで持っている方はいませんか?」

結局何処へ行っても答えは「No」でした。

Nikeが大好きだった私はミシガンアベニューにそびえ立つ当時、最大規模の夢のデパート”Nike Town Chicago”に向かったのです。予想を超える店内のディスプレイの凄さ、“格好良い”の一言でした。それに加えてもう一つ凄い事が起きました。当時NYニックスに在籍していた#44ヒューバート・デイビスがたまたま試合で訪れたシカゴでNike Townへ買い物にやってきたのです。

素晴らしい上にNBAプレイヤーに会えたのですから、その日を境に毎日朝のオープンから晩まで、昼は食事で外へ出たりもしましたが約10日間以上通い詰めました。トイレ掃除でもよいから働いてみたいと思うほどNike Town Chicagoは魅力的な所でした。

また目の前にはマイケル・ジョーダンのオフィスビルもありました。聞くと、

「もちろんマイケルのオフィスは23階にあるんだよ」

と教えてくれました。Nikeスタッフやシカゴに住む全ての人と会話する事がマイケル・ジョーダンを探しているようで、また身近に繋がりがあるようで毎日ワクワクしていました。

その他にも沢山のワクワク感を増加させる事や、モノが一杯溢れていました。

ひとつがNike Townの開店、閉店時間。

当時の自分にはとてもユニークに感じ、更にNikeが好きになったひとつの理由なのです。そこにNikeの契約選手の背番号が使われていたからなのです。

例えば月曜日は#9 ダン・マーリー時:#33スコッティー・ピペン分に開店、ということで、毎日違った選手を使っているので実に面白かったのです。

毎日毎日開店から色々な店員さんと話をしました。

「NBAは好きですか?」

マイケル・ジョーダンを見た事はありますか?」

「どんなNBA選手を接客しましたか?」

などと質問攻めにしていました。

店内にはNBA選手達の着用したジャージーが飾られていて、全部欲しかったのですがまずは聞いてみようと、迷うことなく顔なじみになった店員さんに聞いたのです。

「このジャージーは買えるんですか?」

「ジャージーが欲しく真面目に買いたい」

と言うと店員さんに笑われました。しかし私があまりにしつこいので一人の店員さんが親切に上司の方に聞いてくれました。

「一番偉い人に会わせてやるから敬語でしゃべりなさい」

と言われ特別な部屋に通してくれました。すると店員らしき人が、

「全てのジャージーはもの凄い価値で販売する事は出来ない、しかし君は熱心で面白いから、知り合いにNBAのメモラビリアに詳しい人がいる店員を紹介してあげよう」

と紹介されたのが、今でも友達として繋がりのある当時のNike TownのTimという店員でした。

ティムは会うとすぐに、

「レジー・ミラー、スコッティー・ピペンジム・ジャクソンなどの試合で着用したウォームアップスーツ、Game Worn Jersey、シューズなどを自分も持っているし友人にも収集している人がいる」

と快く色々な事を教えてくれたのです。ティムはNike Townで働く前、取り壊される前のシカゴ・スタジアムで働いていたのでした。丁度ジョーダンが最初の3ピートを達成した頃のことです。

嬉しさで満足一杯でホテルに戻ると、丁度以前に聞いて回っていたひとつのスポーツ店の主人から、

「ドミニク・ウィルキンズ、ハーシー・ホーキンズチャールズ・バークリーのGame Worn Jerseyが見たいか? 買いたいか? 高いぞ!!」

と連絡が入ったのです。

翌日、タクシーで行ってみるとよだれが出そうなジャージーが目の前にありました。しかし当時の自分では到底手が届かない値段であったとともに、このあとの旅で何かもっとすごいものが手に入りそうな予感と期待もあり、買わなかったのです。

しかしそれらのジャージーは驚くほど小さく、見た事のない感触のジャージーだったのも衝撃でした。チャンピオン社、サンド-ニット社のものであり実際に選手が着用した物であるという事が理解できました。

そしていよいよプレイオフ1回戦の対戦相手はシャーロット・ホーネッツ。相手チームは#1マグシー・ボーグズ、#2ラリー・ジョンソン、#33アロンゾ・モーニングを中心に非常に人気のあるチームでフィラデルフィア 76ersで活躍していた時のジャージーをちょっと前に目にしている#3 ハーシー・ホーキンズも在籍していました。とにかくジャージーが欲しいという気持ちはどんどん増していったのです。館内にはジョーダンが着用したユニフォームやシューズなどがロッカールームのように洒落た形でディスプレイされていて、期待はどんどんと膨らんでいったのです。

しかしそれ以外にも絶対寄ってみたい場所がありました。それはシカゴに着いて多くの人から聞いていたユナイテッド・センター内にあるfandemoniumとスタジアム内のショップでした。試合前に寄ってみると背番号#45マイケル・ジョーダンのジャージー、そうPro-Cutジャージーが5着だけ販売されていました。そこでもすかさず「どんな選手でも良いのでGame Worn Jerseyは手に入りませんか?」

と聞くと、店員さんのお答えは「No」でした。

思い切って#45ジョーダンのPro-Cut ジャージーを購入しましたが、これが波乱の始まりだったのです。この背番号45の#45のジャージーが思わぬ事態を招きました。私はこの後にロサンジェルスに移動の予定で、もしかしたら何か凄いものがこのあと手に入るのかもしれないという期待を込めて、5着全てを買う事が出来たのですが2着のみ購入したのです。その後友人を頼りに、Nike Townなどで購入した山のようなシューズ、ジャージーと共にLAに移動しました。